尼崎事故で思うこと(番外編:メディアの中からの疑問符)

藤代 裕之氏の記事@日経BPにて、メディアの中から見た今回の報道に対する疑問が投げかけられています。至極まっとうな、しかしマスコミが忘れている大切なことが書かれています。ぜひ一度ご覧ください。特にマスコミ・ジャーナリストの連中に読んでいただきたい。そして現在の報道のあり方を考えてみてほしい。報道(ニュース)がワイドショー化していることの恐ろしさを、すべての人々が考えて欲しい。

(前略)
しかし、JR西日本のすべてを悪と決め付けたお祭り騒ぎのような報道は、最も大切な「なぜこのような事故が起き、どうすれば再び大惨事を繰り返さずに済むようになるのか」という視点を忘れ去り、冷静な議論を行う土壌を奪い去っています。
事故の原因は複合的なはずで、組織にも悪い部分と良い部分が必ず存在します。「JR西日本と名前がつけば何でも悪い」というような決め付けによる報道は、何も生み出しません。このような、お祭り騒ぎや書き散らし(節操なく書くこと)報道は世間の注目を集める大きな事故や事件の度に繰り返され、非難されてきましたが、一向に改まる気配がありません。
(中略)
JR西日本の経営陣が退任し(マスコミ内では「首を取る」と言う)、福知山線宝塚線)に新型ATS導入が決まれば、急速に「熱」は冷めていくでしょう。JRの体質はほとんど変わらぬまま、ニュースは消費され、終わってゆく。どうしてこのような事故が起き、どうすれば再び大惨事を繰り返さずに済むのかは分からないまま…。マスコミの役割は、JR西日本を「裁き」「許す」ことではないはずです。
(後略)

(引用元:藤代 裕之@ガ島通信

「報道は世間の鏡」という言葉があります。今の報道が、世間の鏡でないことを祈るばかりです。